【No.11】幸福追求権の性格については、人格的生存に必要不可欠な権利・自由を包摂する包括的な権利であり、個別的人権との関係では、一般法と特別法との関係に立つと解されている。○か×か。(都庁H14改)
答( ○ )
上記の幸福追求権の性格で述べた通りの選択肢で妥当。
【No.12】幸福追求権が保障する権利の範囲については、散歩、自動車の運転などあらゆる生活領域における行為の自由を保障していると解するのが通説である。○か×か。(都庁H14改)
答( × )
幸福追求権が保障する権利の範囲は、上記でも説明したように「個人の人格的生存に不可欠な権利・自由を包摂する包括的な権利」=人格的利益説が通説となっている。選択肢のような“あらゆる生活領域における行為の自由を保障”する考え方は一般的行為自由説と呼ばれるが、通説とはなっていないんだ。
【No.13】幸福追求権から導き出される人権として、最高裁判所の判例が認めたものには、プライバシー権の他に、環境権、アクセス権、自己決定権がある。○か×か。(都庁H14改)
答( × )
この選択肢は幸福追求権では教養の政治・法律でも頻出の事項なので注意しよう。最高裁はプライバシー権ついては権利として認めているが、環境権、アクセス権や自己決定権については憲法上の権利と認めていない。なお自己決定権の判例では次のように判示している「医師らは、説明を怠ったことにより、患者が輸血を伴う可能性のあった手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うものというべきである。」(最判平12年2月29日、エホバの証人輸血拒否事件)
【No.14】京都府学連事件で最高裁判所は、国家権力に対して保護されるべき私生活上の自由の一つとして、何人もその承諾なしにみだりに容ぼう等を撮影されない自由を有し、この自由は、公共の福祉の要請によっても制限されないと判示した。
○か×か。(都庁H14改)
答( × )
判例ではしっかりと公共の福祉による制限があるので覚えておこう。「個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。しかしながら、個人の有する自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。」(最判昭44年12月24日、京都府学連事件)
【No.15】ノンフィクション「逆転」事件で最高裁判所は、前科等にかかわる事実を公表されないことはプライバシーの権利であると認め、さらに表現の自由との関係では、プライバシー権が当然に表現の自由に優越すると判示した。○か×か。(都庁H14改)
答( × )
判例を見てみよう「ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。」とある。判例では「前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表」することが不法行為を構成するかどうかについて様々な要素から判断している。表現の自由との関係でも当然にプライバシー権が表現の自由に優越するとはしておらず、「前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合」ときちとん場合を述べている。だから選択肢のように“当然に”というのもおかしいことがわかるね。(最判平6年2月8日)